さとしの人間総合研究所

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satoshi Ito

人間である限り人間として生きていくために


イスラームと日本の文明的価値観を視野に医療技術分野を考えてみる

〜改造人間による改造人間という

    少数派のための学際的人間研究をめざして〜

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研究・活動理念

永遠のテーマは「人間の身体」と「科学技術」、それを作る「文化・文明」。
「自分らしくあるため」の研究と実践をもとめてから古代エジプト、日本、中東の性別越境者を研究。
自分の「障害」を克服したくて、「医療技術」から「美容技術」、そして個々の人間の人間観すらかえてしまう「軍事技術」の研究へ。
そして「人間が人間として尊重される社会」をめざしてイスラム法学を研究。
ひとつひとつは微々たる力ではあるけれど、総合的に影響すれば
人間そのものへの大きな意味をもつものとなる。

  理念・ビジョン

すべての人に自尊心と自己愛に対する寛容を
すべての人に医療と教育、そして科学技術の提供を
すべての人に身体の健康と安全を
そして・・・すべての人が自分の決定を尊重されるしくみを


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<研究テーマ1>最先端医療技術と医療倫理

医療倫理の考えは古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」からはじまり、1948年の第2回世界医師会総会で規定され、2006年までの各改正を経て現在に至っている。性別適合手術から生殖医療、臓器移植、人工臓器、終末期医療、そしてES細胞による再生医療など世界的に近年近代科学がもたらす最先端医療技術に対して「生命倫理」「医療倫理」の問題が浮上している。「技術があれば使ってもいいのか」または「技術があっても使ってはいけないのか」。イスラームの場合「神の創造物に手を加えてはいけない」という思想を持っている。しかし科学技術の発展により不可能であったことが「可能」になってきた。それにより人間の生活のQOLもあがり人間が「幸せ」になる、という現象が生じたとき生きるためにその技術を切望するのが人情であろう。当然イスラームがどう考えるか、という答えをだしてくる。イスラームと日本、欧米諸国の医療における法規制と倫理の問題を考察する。

<研究テーマ2>歴史の中の性別越境者

 性同一性障害当事者や性別違和感をもち、与えられた身体やジェンダーになじめない子どもたちが将来の人生設計を書くことができず、精神的社会的二次障害を負ってしまうことは大きな課題として残っている。
 そんなとき過去の先人たちのよいモデルと知ることは幼い彼らの自己肯定感を養うことにつながる。古来より理由は性別違和感に限らず性別を越えて生きていた人々がいた。あるときは異端として排斥され、あるときはある種の役割を背負って確実に時代背景歴史を問わず確認された。「異端、特別な存在」であったとしても彼らが歴史的社会的価値観から完全に自由になることはありえず、「異端、特別な存在」である彼らのあり方からその時代の価値を考察する。

<研究テーマ3>イスラームの性別越境者

イスラ−ムは性同一性障害当事者をどうとりあげているか。クルアーンには「男女は本質的に差があり、女性は男性より劣るもの」 として明記されている。これらの言葉のみによるイスラ−ムのジェンダーイメージであれば、いわば「性の逸脱的存在である性同一性障害当事者」は日本と同じように「逸脱的存在」として扱われるだろうと推測しがちである。しかし、日本のカルーセル麻紀氏がイスラームの国であるモロッコで性別適合手術を受けた、という事実は有名である。さらにイラン、トルコなどイスラ−ム圏で性同一性障害の法的処遇をみとめている国が存在する。インドの性別越境者ヒジュラにイスラ−ムに改宗する人間が多いという報告もある。総じていえるのはイスラ−ムにも性同一性障害を「容認する」なんらかのシステムが存在する、ということである。「性同一性障害」という特定の人間の上に起こっている現象を検証してみることは性同一性障害のみならず「どうすれば人間が人間らしく生きられるか」を検証することであり、あるカテゴリーにおいて少数派の人間のみならず、多数派とされている人間のためにもこの検証は有意義なことであると思われる。

<研究テーマ4>性別越境者をめぐる医療と法

日本は世界でも性別越境者に対して「寛大」な文化をもつ国とされてきた。しかし明治以後、欧米諸国のキリスト教の影響によって、またドイツから輸入された精神医学によって、性別越境者は「異常」であるとして社会のアウトサイダーとして「なきもの」にされてきた。 1995年から性別越境者にとって大きな歴史の転換期になる。しかし1996年の埼玉医科大学の答申以降、戸籍の性別変更の申立ては2003年にいたるまですべて却下されてきた。一方で自民党は2000年9月に性同一性障害に関する勉強会を発足し、性同一性障害の法律的扱いについて検討してきた。南野知惠子参議院議員が中心となり2003年7月1日参議院法務委員会に法案を提出成立した。
しかし、性同一性障害をめぐる医療情報、医療技術医療施設など医療体制全体の問題や、医療によらない性別越境者や治療前の性同一性障害患者の社会システムの問題が存在する。 「研究テーマ3」と平行して性別越境者のみならず「異端な存在を存在するものして受容する社会をつくる」ためにはどうしたらよいか、検討してみる。

<研究テーマ5>聴覚障害をめぐる医療と法

日本で有名な聴覚障害者として吉田松陰の弟、杉敏三郎があげられる。彼は先天性の聾であり、学問は口話教育で覚えたといわれる。また東京大学工学部を設立した山尾庸三が日本初の盲聾学校をつくるなど社会、教育のハード面での整備の歴史は古い。しかし「医学、医療」の観点でみた場合、聴覚障害者にフォーカスしたものは非常に少ないといわざるを得ない。それは聴覚障害が「医学で完治しないもの」というスティグマをおっていること、健常者が理解しがたい聴覚障害ゆえの特殊な世界観・言語観があるためである。そのため、健常者の独断と偏見による医療・法・教育・社会システムができてしまい、聴覚障害者の社会参加をかえって阻害した現実がある。また、先の「性同一性障害、性別越境者」のケースにもれず聴覚障害者も「聴覚障害、ろう」の価値基準や求めるニーズの相違が存在する。最近の人工内耳をめぐるサイボーグ技術やES細胞による聴覚障害の治療の技術にもふれていきたい。

<研究テーマ6>五体満足神話と医療技術

「健常者」とは、「障害者・病者」に対して、特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人をいう。発達障害者に対しては「定型発達者」ともいう。しかしどこからが「健常者」でどこからが「障害者」であるか、という問題は医療・法・社会システムにおいて時代ごと、国ごとの差異が存在する。また求められる理想の「五体満足の人間」によっても違ってくる。社会の担い手となる理想の人間をもとめて「医療技術」から「美容技術」、そして個々の人間の人間観すらかえてしまう「軍事技術」。「『生きる』ということへの肉体的・精神的渇望」をもとに発達する「軍事技術」が生み出す障害者支援の技術、そして戦略。今日の社会で必要とされる「コミュニケーション能力」にもフォーカスして考えてみたい。

<研究テーマ7>少数者のためのツール開発

人間にとって一番つらいのは「人とは違う」という苦しみである。人とは違うということは五感を通じて作り上げた世界観が「人と違う」ということで「人の中でしか生きられない」人間にとって世界観の相違によって「情報共有ができない」ことは人間らしい生活の基本となる「衣食住の確保」すらままならない、ということを意味する。従来そうした異端者に対して人間の柔軟なシステムで救済が行われてきた。
しかし欧米社会の思考ツールで数学の問題を解くようにシステム化されてしまった現代の日本社会において、「人と違う」ということは「自分の人生の決定権すら保障されない」ということを意味する。本来であればその問題を提起して社会のしくみを変えていくという行動が必要であるが、歴史上結果につながるには数十年の時間がかかる。「他人と過去は変えられない」。そこで「自分と未来を変える」ために個人でできるツールを開発する、というのも研究のひとつである。たとえば「意思決定」「リーダーシップ」「マネジメント」「コミュニケーション」…。またIT技術を使って少数者を多数者に組み込んで人生のQOLをあげることを可能にする仕組みも開発中である。

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